時代の流れ、ということでしょう。

富士山測候所72年の有人観測に幕…最後の4人下山へ

 富士山の山頂にある気象庁富士山測候所。72年間にわたって、職員が気象観測を行ってきたが、自動観測装置の整備に伴い、今月いっぱいで常駐観測を終了する。

 職員たちは雪と氷に閉ざされる冬を耐え、夏には落雷の恐怖と戦いながら、観測データを蓄えてきた。九州に上陸した台風21号は、列島縦断コースをとる恐れも出てきたため、職員4人は台風通過を待って、10月1日に下山する予定だ。頂上では、暴風雨との最後の戦いが始まる。

 〈昭和7年(1932年)7月1日朝6時、風は穏やかであるが前夜からの雪が降り続いている――〉

 測候所の開設以来、書きつづられてきた日誌は、こんな文章から始まる。標高3776メートルの富士山頂に中央気象台(現・気象庁)の臨時気象観測所が置かれ、通年気象観測がスタートした。

 大気の流れを知るには、高層気象の観測が欠かせない。

 富士山の観測データは、日本の天気予報に革新的な成果をもたらした。中でも99年に運用を終了した気象レーダーは、気象衛星が登場するまで、台風や大雨予報の主役だった。

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(読売新聞) - 9月29日13時55分更新

富士山の山頂に測候所を作るというのは、
建設当時は当時は画期的なものだったはずです。


しかし、本来、こういう類の仕事というのは、登山家の仕事で、
いくら気象観測の仕事とはいえ、
一般の気象庁の職員が冬山登山を伴う業務をこなしていた、というのは
想像を絶するものがあります。
世界的に見ても珍しいのではないかと思います。


長くなるのでここでは取り上げませんが、
新田次郎が測候所での高山病を表現した
「発熱による頭痛とは違って、頭に鉄の輪をはめられて、しめつけられるような痛さだった」
という言葉は高山病を体験したことのない人にも雰囲気が伝わってきます。
他にも富士山の登山での時の苦闘の様子がいろいろと綴られていますので、
興味のある方はぜひ読んで頂ければと思います。


こういう方々の長年の努力が
風水害による被害の軽減に大きく寄与したことは言うまでもありません。
長い間ご苦労様でした、と言いたいと思います。